艇界のレジェンド・絶対王者といえばやはりこの人。「松井繁」選手です。
1996年SG初優勝を飾り自信をつけた松井選手は、その後もSG優出の常連となり安定した強さを誇っています。
公営競技選手で史上初の生涯獲得賞金30億円を達成した選手であることも有名。その記録は破られることなく39億円を突破し、今も更新され続けています。
そんな、松井選手の強さの秘密とは?
今回は松井選手が競艇を始めたきっかけから現在までの軌跡を紹介していきます。
また、2021年にミス日本グランプリを獲得した娘・松井朝海さんの話題にも触れていきたいと思います!
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「絶対王者」松井繫とは?
1969年11月11日生まれ、大阪府吹田市南吹田出身のボートレーサー。
兄と2人兄弟で、鮮魚店の家庭に生まれました。中学・高校時代はテニスをしていたが、目立つ選手ではなく、将来の進路を見いだせずにいました。
大学や、専門学校を受験するつもりでいたが、本栖研修所(ボートレーサー養成所)の試験を受けることになり一発で合格。
本栖研修所を卒業した松井選手は1989年5月13日に地元、住之江競艇場にてプロデビューを果たします。
※ボートレーサーになった経緯については下記で紹介しています。
基本情報・プロフィール
公式画像 | |
名前 | 松井繁 |
ふりがな | まついしげる |
登録暗号 | 3415 |
生年月日 | 1969年11月11日 |
身長 | 168cm |
体重 | 51kg |
血液型 | O型 |
支部 | 大阪 |
出身地 | 大阪府 |
登録期 | 64期 |
デビュー | 1989年5月13日 |
趣味 | ベルルッティ |
競艇選手を目指したきっかけ
高校3年生の時に、将来の進路を見いだ出せなかった松井選手は、父が経営していた鮮魚店の従業員の一言でボートレーサーを目指すきっかけになりました。
父の従業員のがボートレースが好きで、「この子なら体型も丁度いい、向いているんじゃないか?」と養成所の募集案内を渡されボートレーサーになるための試験を受けることに。
父は、「男なら自分の可能性のあるところにいけ」と反対はしなかったようですが、内心はそんな簡単に試験に受かるとは思っていなかったそうです。
父の気持ちとは裏腹に松井選手は本栖研修所の試験を一発で合格。
この本栖で終生のライバル「服部幸男」選手と出会うことに。
松井繁の師匠は「金谷英男」
名前 | 金谷英男 |
ふりがな | かなたにひでお |
登録暗号 | 2238 |
生年月日 | 1946年8月14日 |
身長 | 166cm |
体重 | 54kg |
血液型 | A型 |
支部 | 大阪 |
出身地 | 大阪府 |
登録期 | 26期 |
松井選手が弟子入りしたのは、松井選手の父が経営していた鮮魚店の常連客として仲良くなったことがきっかけで金谷英男さんに弟子入りしたそうです。
松井選手の師匠であった金谷さんの情報を調査してみましたが、分かった情報は上記のデータのみでした。
愛車はアルファロメオ・4Cとメルセデスベンツ・ゲレンデ
絶対王者と言われる選手なだけあって高級車2台所有しています。
松井選手の愛車1台目は「アルファロメオ4C」。車両相場価格は約1,000万円。
車名の由来となった4Cは (4 cylinders) 直列4気筒ガソリン直噴エンジンという意味のようです。
松井選手の年収からすると少し安いような気もするので、アルファロメオがサブの車なんでしょうか。
それにしても奇抜な黄色の車も似合ってしまう松井選手はさすが絶対王者。
愛車2台目は、男性なら誰でも1度は憧れる「メルセデスベンツ・ゲレンデ」(Gクラス)。車両相場価格は約2,000万円。
メルセデス・ベンツブランドで展開している高級SUV。「G」とはドイツ語でオフローダーを意味する「ゲレンデヴァーゲン」のこと。
ダンディな松井選手にピッタリのゲレンデ。車も松井選手もカッコ良すぎだろw
松井繁の弟子は4人
松井選手は一匹狼のイメージがありますが、4人の弟子を取っています。松井選手との出会いや、弟子になったきっかけなどを紹介していきます。
浦上拓也
公式画像 | |
名前 | 浦上拓也 |
ふりがな | うらがみたくや |
登録暗号 | 3881 |
生年月日 | 1973年2月16日 |
身長 | 163cm |
体重 | 54kg |
血液型 | O型 |
支部 | 大阪 |
出身地 | 大阪府 |
登録期 | 80期 |
デビュー | 1997年5月11日 |
大阪府出身、1997年5月11日にデビューしたボートレーサー。「浦上拓也」選手。
2021年12月8日に通算1,000勝を達成していますが、成績は正直いいとは言えません。デビュー24年目で通算優勝は一般戦の5優勝のみ。
タイトル獲得にはかなり苦しんでいるようです。
松井選手に弟子入りして学んだことは、自分に厳しいということ。自分に限界を作った時点で進歩が止まってしまうという事を1番学んだといいます。
鎌田義※引退
公式画像 | |
名前 | 鎌田義 |
ふりがな | かまだただし |
登録暗号 | 3887 |
生年月日 | 1974年5月10日 |
身長 | 164cm |
体重 | 54kg |
血液型 | A型 |
支部 | 兵庫 |
出身地 | 兵庫県 |
登録期 | 80期 |
デビュー | 1997年5月23日 |
兵庫県出身、 1997年5月23日にデビューを果たしたボートレーサー。「鎌田義」元選手。愛称は「カマギー」。
デビュー1年半後、江戸川競艇場で優勝し、その後も江戸川艇場では好成績を残している事から艇界屈指の江戸川巧者として知られていました。
G1優勝1回、SGでも優出するなど、長く第一線で活躍したが、頚椎のヘルニアが悪化し2017年6月1日、惜しくも選手を引退しました。
現在は、神戸・大阪・高松市内にある「カマギーボートレースアカデミー」の校長としてボートレーサー養成所合格を目指す予備校を開校。また、神戸市内の児童養護施設を手伝っている。
北村征嗣
公式画像 | |
名前 | 北村征嗣 |
ふりがな | きたむらせいじ |
登録暗号 | 3997 |
生年月日 | 1979年4月25日 |
身長 | 170cm |
体重 | 54kg |
血液型 | O型 |
支部 | 大阪 |
出身地 | 大阪府 |
登録期 | 83期 |
デビュー | 1998年11月13日 |
大阪府出身、1998年11月13日のデビューを果たしたボートレーサー。「北村征嗣」選手。
ある日松井選手の方から「弟子にならないか?」と声をかけてくれたことがきっかけで師弟関係になったそうです。
2021年3月、福岡競艇場で開催された「SGボートレースクラシック」でSG初優勝を果たし、2日目7レースにはインから逃げ切りSG初勝利を飾っています。近年はSG・G1の出場も増えてきている選手。
松井選手のことを、「すべてにおいて素晴らしい人だと思う。仕事もプライベートも一緒にいたらすべてにおいて勉強になる」と慕っています。
山本隆幸
公式画像 | |
名前 | 山本隆幸 |
ふりがな | やまもとたかゆき |
登録暗号 | 3156 |
生年月日 | 1977年9月26日 |
身長 | 173cm |
体重 | 50kg |
血液型 | A型 |
支部 | 兵庫 |
出身地 | 兵庫県 |
登録期 | 85期 |
デビュー | 1999年11月10日 |
兵庫県出身、1999年11月10日にデビューを果たしたボートレーサー。松井選手に憧れを持ち、競艇選手になった「山本隆之」選手。
尼崎競艇場でアルバイトしていた頃から山本選手は、父親から松井選手が凄い選手だという話を聞いていたそうです。初めて松井選手をみた山本選手はオーラに衝撃を受けたと話します。
知り合ってからは食事に連れていってもらい、「頑張ってレーサーになれ」と言われボートレーサーになる事を決意。
松井選手がレース終えるとお疲れ様の電話をしたり、何度か勝手に新大阪駅に迎えにいったりしたことも。そのエピソードについて、松井選手も山本選手もストーカーだったと冗談を飛ばしています。
養成所の試験を4.5回落ちていた時期に、スポーツ選手も訪れる勝運の寺として有名な勝尾寺に参拝に連れて行ってくれたことも嬉しそうに話していました。
ボートレーサーになってからは頭角を現し、2006年にG1での初優勝を飾り、SGでの初優出も果たしています。
同期「服部幸男」との出会い
松井選手が「服部幸男」選手に出会ったのは、80期生として入所した、本栖研修所でした。
今の松井繁があるのは、「服部幸男」がいてくれたからと話す服部選手とはどんな選手なのか?
服部幸男とは?
公式画像 | |
名前 | 服部幸男 |
ふりがな | はっとりゆきお |
登録暗号 | 3422 |
生年月日 | 1971年1月5日 |
身長 | 167cm |
体重 | 56kg |
血液型 | B型 |
支部 | 静岡 |
出身地 | 静岡県 |
登録期 | 64期 |
デビュー | 1989年5月13日 |
1971年1月5日生まれ、静岡県浜松市常光町出身のボートレーサー。父の服部正彦は元競艇選手で、服部選手自身も幼いころから父親と同じ競艇選手になりたいと口にしていたといいます。
中学卒業後、静岡県立浜名高等学校に進学するが学校が嫌いという理由で中退し、1988年4月に本栖研修所に入所。「落水王」と呼ばれながらも、卒業する頃には模擬レースの勝率は7.49と同期ではダントツのトップで卒業しています。
過去暴走族に所属し、暴走行為が発覚して6ヶ月間の出場停止処分を受けたこともあったが、その後は暴走族と訣別し、出場停止解除後は成績が急上昇。
1992年、平和島競艇場で開催された全日本選手権競走で優勝。1984年に達成した今村豊の記録(22歳)を抜き、史上最年少21歳9ヵ月でSG初優勝という記録を保持しています。
松井繁と服部幸男のエピソード
本栖時代初期の頃、転覆などを繰り返していていつ退学になってもおかしくない状況なほど松井選手は劣等生だったそうです。しかし、休みに入り地元から訓練所に戻ってきたときに松井選手に変化があったそうです。
まくりもできないし、差しもできなかった松井選手が、ある日突然頭角を現し始めたそうです。
それからというもの、服部選手は松井選手とばかり練習して腕を磨いていったといいます。これをきっかけに切磋琢磨しながらトップレーサーへの階段を上っていった2人は友人でもありライバルという関係に。
服部選手が初めてSGで初優勝を飾ったとき、松井選手はレース場に最後まで残り、服部選手が戻ってくるのを待っていたといいます。
優勝記者会見から戻り、松井選手を観た服部は感情が爆発して2人で抱き合って泣きながら喜んだのを鮮明に覚えているようです。
その後は、焼肉で祝杯を挙げさらに友情を深めたと話しています。
松井繁のデビュー後
本栖時代は劣等生だった松井選手。
今の自分があるのは服部幸男選手のおかげだと話す松井選手はどのように変化していったのか?
デビュー翌年にはA1級へ昇格
前述のとおり、ある日突然頭角を現し始めた松井選手は、本栖研修所の卒業記念競走を準優勝で卒業しました。
1989年5月、地元住之江競艇場にてデビュー。デビュー後も勢いは収まることなく、半年でB1級に昇格し、デビュー翌年にはA1級に昇格しています。
1992年「G1戸田グランプリ」で初優勝
G1初優勝を飾ったのは、デビューから3年後たった1992年。
戸田競艇場で開催された、開設36周年記念「G1戸田グランプリ」(現在、戸田プリムローズ)で3コースから見事なまくりを決め、G1初優勝を飾りました。
このころから期待の大型新人と注目され始めることに。
「絶対王者」松井繁の誕生
1992年、戸田グランプリでの初優勝を果たしてから、しばらくG1優勝から遠ざかっていた松井選手。ライバル「服部幸男」選手に遅れながらも、変化が訪れたのは1995年のことでした。
ここから松井繁の「絶対王者」のストーリーが始まっていきます。
松井繫に変化が訪れたのは1995年
1995年2月、「第38回近畿地区選手権」(びわこ)で通算2度目のG1優勝を果たし、同年4月「開設43周年記念海の王者決定戦」(大村)で通算3度目のG1優勝を達成。
その優勝が決め手となり、念願の「SG賞金王決定戦」の初出場を決め、この年から10年連続で賞金王決定戦に出場した記録を残しています。
「絶対王者」の歴史が始まる1996年
前年の「賞金王決定戦」出場により、一気にトップレーサーの仲間入りを果たした松井選手。
1996年5月27日、児島競艇場で開催されていた第23回笹川賞(ボートレースオールスター)で松井選手は6号艇で優勝戦進出。
迎えた本番、1周2マークまでトップを走っていた倉谷選手がバランスを崩し転覆。恵まれという形になったが、大逆転でのSG初優勝を飾りました。
当時の松井選手は「ようやく服部の仲間に入れた」とコメントしていました。
松井繁が獲得した12のSGタイトル
1996年のSG初優勝はじめ、現在まで優勝してきたSGは通算12回。艇界最多優勝を誇っています。
- 1996年5月:第23回笹川賞
- 1998年7月:第3回オーシャンカップ
- 1999年12月:第14回賞金王決定戦
- 2001年5月:第28回笹川賞
- 2006年7月:第11回オーシャンカップ
- 2006年12月:第21回賞金王決定戦
- 2008年3月:第43回総理大臣杯
- 2008年7月:第13回オーシャンカップ
- 2009年10月:第56回全日本選手権
- 2009年12月:第24回賞金王決定戦
- 2013年7月:第18回オーシャンカップ
- 2014年3月:第49回 総理大臣杯
2003年だけで8回のG1優勝を達成
松井選手は2003年にG1優勝8回という、恐ろしい記録を残しています。
ちなみに、2021年グランプリ覇者の「瓜生正義」選手がG1通算優勝20回、現役最強とよばれる「峰竜太」選手が通算15回。
それを2003年だけで8回優勝してしまう記録がどれだけ凄いことか分かると思います。
- 3月:G1太閤賞競走
- 3月:G1北陸艇王決戦
- 4月: G1ダイヤモンドカップ
- 6月:G1福岡チャンピオンカップ
- 9月:G1巌流島決戦下関MB大賞
- 9月:G1第32回つつじ賞王座決定戦
- 10月:G1競帝王決定戦
- 11月:G1モーターボート大賞
松井繁の生涯獲得賞金
「松井繁」選手といえば、公営競技史上初の生涯獲得賞金30億円突破した選手として有名です。
公営競技史上初ですから、言葉のとおり…競馬・競輪・オートレース・競艇すべてを含む選手の中で初めて30億円を突破した選手ということになります。
現段階で分かっている生涯獲得賞金は、39億2486万円。さらに、松井選手は現役ですから、今でも生涯獲得賞金を更新し続けています。
ちなみに、競艇での生涯獲得賞金ランキングはこんな感じ。
選手名 | 生涯獲得賞金 | SG優勝 | |
1位 | 松井繁 | 39億2486万円 | 12回 |
2位 | 今村豊 | 29憶4144万円 | 7回 |
3位 | 山崎智也 | 25億9690万円 | 11回 |
4位 | 今垣光太郎 | 25憶3381万円 | 9回 |
5位 | 瓜生正義 | 24憶8761万円 | 10回 |
6位 | 濱野谷憲吾 | 23億7620万円 | 5回 |
7位 | 植木通彦 | 22億6186万円 | 6回 |
8位 | 太田和美 | 22億3810万円 | 7回 |
9位 | 田中信一郎 | 20億9900万円 | 5回 |
10位 | 服部幸男 | 19億8780万円 | 1回 |
松井繁が唯一誰にも負けないこと
松井選手本人が唯一誰にも負けないと自負していることがあります。
それは、努力とプロ意識。
父である武弘さんが、レース場に向かうため新大阪まで送った時に「ぼちぼち頑張って走っておいで」と何気なく伝えると「ぼちぼちじゃあかん」「それやったら走る前から6等や」と怒っていたそうです。
父・武弘さんは、無事に走ってくれればいいと思って言ったようですが、肉親が驚くほど高いプロ意識を持っていた松井選手。
そんな松井選手にはいつしか絶対王者という称号がつけられるようになり、それに恥じないように頑張ろうと思っていると話しています。
そして松井選手の努力は「第21回新鋭王座決定選」のポスターにもなるほどの努力家。ポスターには、不器用だった。できる事は努力だけだった。そんな時代があったから今の俺がある。と記されています。
松井選手は、自分が努力することに対してこのようにコメントしています。
- 「調子が悪いときや、上手くいかないとき、誰でも逃げだしたくなることはあると思うけど、自分の場合はその努力を同じペースでやり続けることが一番の努力だと思っている」
- 「(自分が)際立ってうまい訳ではない。後輩たちともそんなに差はない、ただ、自信があるところはずっとやり続けられるぶれない精神は誰にも負けない」
これが「絶対王者」と言われる所以となっているのだと思います。
絶対王者「松井繁」にも苦手な競艇場が
「絶対王者」といわれる、松井選手にも実は苦手な水面があります。
それが、江戸川競艇場と平和島競艇場です。
唯一、優勝がない江戸川競艇場
絶対王者といわれる松井選手にも唯一、優勝経験のない競艇場があります。
それが「江戸川競艇場」。
レース斡旋がないのか、拒否しているのか真相は分かりませんが、松井選手が江戸川で走ることがそもそもレア。
「慣れが必要」と本人も話している通り、特殊なボートと水面で実力を発揮するのは「絶対王者」でも難しいようです。
27年半かかって優勝した平和島競艇場
あの松井選手が苦手とする、もうひとつの水面が「平和島競艇場」。
松井選手本人も「一番苦手。好きやない。」とコメントしてしまうほど相性が悪いようです。
これまで何度もSGやG1が開催されている競艇場ですが、唯一、優勝したのは2015年12月のG1トーキョー・ベイ・カップのみ。
実際に平和島を制覇するまでに27年半ほどかかっていることも苦手水面であることが顕著に現れています。
松井繁の引退について
松井選手は引退についてこう語ります。
「去年より下手くそになってたり、もうこれ以上、うまくならないと思ったらやめるかな。ただ、まだうまくなれると思えるうちはやめない。夢はこの業界の全部の記録を塗り替えたいと思っている。」
ボートレース界にはやはり松井繫は絶対に必要な選手。松井繁ファンとしては今後も活躍して、艇界の記録を更新していってほしいと個人的に思っています。
松井繁の娘「松井朝海」はミス日本グランプリ
2021年3月22日、「第53回ミス日本コンテスト2021」に輝いた「松井朝海」さんはなんと松井選手の娘さんでした!
同コンテストは、過去に藤原紀香さんらを輩出した歴史あるミスコンテスト。そのコンテストに朝海さんは選ばれ、グランプリを獲得したのです。
松井選手には、妻・美雪さんとの間に3人の娘がいます。朝海さんはその三女で幼少期からファッションモデルになりたいという夢をもっていたそうです。
まとめ
艇界のレジェンド・絶対王者「松井繁」選手をまとめると…
- 父の従業員がきっかけでボートレーサーになった
- 3人の弟子がいる
- 同期は、終生のライバルでもあり親友の「服部幸男」
- 絶対王者の伝説は1996年から
- 公営競技史上初の生涯獲得賞金30億円突破した選手
- 競艇界での生涯獲得賞金はダントツ1位
- 絶対王者「松井繫」にも苦手な競艇場が存在する
- まだ、上手くなれると思ううちは競艇選手をやめない
- 娘の松井朝海は2021年ミス日本コンテストグランプリ受賞者
- 松井選手はSNSをやっていない
2019年から、SGやG1での優勝離れている松井選手ですが、まだまだSG・G1で戦えるレベルの選手。
松井選手本人が言っていた、競艇界の記録をどんどん塗り替えて艇界に伝説を沢山作って艇界を盛り上げていってほしいと思います。
まずは江戸川競艇場で優勝して、24場制覇を!
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