日本に「競艇」という公営競技が誕生したのは、今から約70年前の1952年。そこから少しずつ仕組みを変え、現在のボートレースに至ります。
始まった当時のことは僕にも分かりません。ただ、今よりモーター性能が高かったことや、3連単という舟券が存在しなかったことなど、競艇ファンにとって周りに話したい過去が沢山あります。
そこで今回は、競艇の歴史について解説していこうと思います。
- 競艇はいつ、どこで、なぜ始まったのか?
- 現在までの歴史(出来事)一覧
- 今後の課題
- 競艇歴史に関するQ&A
正直、知って得する知識とは言えませんが、損することもないはず。今と昔を知ると、ボートレースの見方が変わるかもしれません。
「リバースボート」の無料予想はとにかく当たります。
実際に試せば分かりますが、レースの選び方・買い目の絞り方はまさに本物。これほど高精度の無料予想は滅多にありません。
もちろん、信用できるまではエアー検証でOK。数レースで質の高さに気づくはずです。
競艇が生まれた目的や発祥の地
- 世界初の競艇:1861年パリのセーヌ川
- 日本初の競艇:1952年長崎県の大村競艇場
日本初の競艇の開催地は1952年、長崎県の「大村競艇場」。
大村競艇場は「競艇発祥の地」として人気が高く、年間180日もレースを開催しています。また、イン勝利は全国トップクラスの高さを誇り、ファンからは”イン天国”とも称される競艇場です。
ではなぜ、競艇が開催されることになったのか?その目的は、当時の政治的背景が要因のひとつだと考えられます。
1950年代の日本は「高度経済成長期」真っ只中。
1950年の朝鮮戦争特需により、占領下を脱して2年の1953年後半ごろには戦前の最高水準を上回った。1956年には経済白書が もはや戦後ではないと宣言、1955年から1973年の18年間は、年平均10%以上の経済成長を達成した。
出典:ウィキペディア
現在では生活するうえで欠かせない白物家電「白黒テレビ・電気冷蔵庫・電気洗濯機」が誕生した時代。
そうした中、財源を確保することに加え、男尊女卑からの脱却を果たすために1人の政治家が立ち上がります。それこそ競艇の生みの親「笹川良一」さんです。
出典:Wikipedia
モーターボート競走法制定の成立まで大変だったようですが、1951年6月5日、参議院で3分の2以上の賛成によって正式に可決されました。
競艇の歴史一覧表
競艇の歴史を時系列でまとめるとこんな感じ。
年次 | 出来事 |
1951年 | モーターボード競走法が制定 |
1952年 | 大村競艇場で初開催 |
1953年 | 若松競艇場で第1回全日本選手権競走を開催 |
1961年 | フライング艇に対する返還欠場が実施 |
1966年 | 競艇会のレジェンド彦坂郁推の獲得賞金が1億円を突破 |
1985年 | 平和島で電話投票開始 |
1986年 | 競艇会のレジェンド彦坂郁推の獲得賞金が1億円を突破 |
1988年 | 持ちペラ制導入 |
1977年 | 桐生でナイターレース初開催 |
2000年 | 住之江競艇場で公営競技初の3連単導入 |
2001年 | ボートレーサーの養成所「やまと競艇学校」開設、ネット投票開始 |
2002年 | スタート展示を実施 |
2010年 | 宮島競艇場で減音モーター導入 |
2012年 | 持ちペラ制が廃止され新プロペラ制度導入 |
2014年 | 賞金王決定戦が2ステージ制に変更 |
競艇のルールをはじめ、3連単やナイターレースなど、競艇初心者にとっては今が当たり前の状態。しかし、当初は何もないところから始まり、改正や調整を重ねながら現ボートレースが出来上がりました。
表を見ただけでも「歴史の深い公営競技」だと理解できるはず。現在に至るまで選手のため、ファンのために試行錯誤が繰り返されてきたのです。
それでは、表に紹介した大きな出来事を深掘りしていきましょう。
1953年~若松競艇場で第1回全日本選手権を開催
競艇の全日本選手権、記念すべき第1回は、競艇ダービー発祥の地として知られる「若松競艇場」で開催されました。
若松競艇場といえば、ナイター開催地だったり、日本昔話の”かっぱ地蔵”から命名された「かっぱくん」の印象。ただ、レースにおいても輝かしい功績を残しています。
- 2014年、全国競艇場で最多売上80億円突破
- 全日本覇者決定戦開催
- JR九州ビート杯争奪戦競走開催
海水を利用した競艇場の中では潮の影響が少ないとされており、そこそこインが強い水面。加えて、21時前まで楽しめるナイターレースも人気です。
1959年~競王「彦坂郁雄」がデビュー
1959年は、艇王の異名を持つ「彦坂郁雄」のデビュー年。他サイトから引用した情報となりますが、彦坂郁雄が残した偉大な記録をまとめました。
- 史上唯一、全24場特別競走優勝
- 歴代最多、優勝回数179回
- 歴代最多、特別競走優勝77回
- 歴代最多、期勝率1位獲得数20回
住之江競艇場で開催された第1回賞金王決定戦では、大村で無類の強さを誇った「古川文雄」や、闘将の異名をもつ「安岐真人」など強者を相手に優勝を果たしています。
1988年、整備違反により引退となりましたが、競艇史上約70年間、未だに破られていない記録を複数持つレジェンドレーサーです。
もし、彦坂郁雄が現在のボートレース界にいたら?妄想するだけで白飯2杯は食べられますw
1985年~平和島競艇で初の電話投票開始
競艇の電話投票は、初開催から約30年後の1985年に平和島で導入。
当時、電話投票のシステム上、投票できるのは加入した競艇場に限られていました。しかし、競艇場へ行かなくても舟券を購入できるようになったのは、飛躍に繋がった要因の一つと言えるでしょう。
1988年~持ちペラ制を導入
1988年の「持ちペラ制導入」により、選手自身がペラを調整することが可能に。
ペラの調整によってモーター性能に差が生まれます。その為、いかに良いペラに仕上げることができるか?その点が勝敗を左右するといっても過言ではなかった時代。
とはいえ、勝負で勝てるペラを作るには、知識や技術だけでなく”多額の資金”も必要。よって、単体でペラ叩きするのは限界があり、選手が共同で開発に取り組むグループ”ペラ小屋”が次々に誕生していきます。
1997年~桐生競艇場で初のナイターレース開催
カクテルライトが水面を照らし、昼間の光景とは違った楽しみ方ができるナイターレース。1997年、群馬県の「桐生競艇場」で初めて開催されました。
桐生競艇場といえば、全24会場の中で最北に位置し、赤城山から吹き下ろす「赤城おろし」で有名な場です。
通常のレースは夕方頃には全レースが終了するので、日中に動く学生やサラリーマンだと時間的に出向くのは困難。そんな中、ナイターであれば15時以降から開始されるため、幅広い競艇ファンが楽しめるように。
ちなみに、桐生競艇のほか、以下6つの競艇場でナイター開催を実施しています。
- 蒲郡競艇場(愛媛県蒲郡市)
- 若松競艇場(福岡県北九州市)
- 住之江競艇場(大阪府大阪市)
- 丸亀競艇場(香川県丸亀市)
- 下関競艇場(山口県下関市)
- 大村競艇場(長崎県大村市)
ご覧の通り、ナイター開催地は西日本限定です。東日本在住だと直接行くのは大変ですが、競艇ファンなら一度は体験しておくべき!
2000年~住之江競艇場で3連単を導入
レースの1着から3着までを順番通りに予想する「3連単」は、2000年に住之江競艇で初めて導入されました。
現在では、購入数の9割以上が3連単で、ファンにとって扱いなれた券種。ただ、導入当時はすぐに馴染めない人も多く、従来の2連単からなかなか移行できなかったと言います。
一応、競艇初心者に向けて「3連単」を解説しておきますね。
競艇の「3連単」とは
券種(的中率) | 券種の内容 |
3連単(1/120) | 3着まで順番に当てる |
2連単(1/30) | 2着まで順番に当てる |
3連複(1/20) | 3着までの艇を順番関係なく当てる |
2連複(1/15) | 2着までの艇を順番関係なく当てる |
拡連複(3/15) | 3着までの艇を順番関係なく2艇当てる |
単勝(1/6) | 1着の艇を当てる |
複勝(1/3) | 2着までの艇を当てる |
上記は「舟券の正しい買い方&賭け方」から引用しています。
3連単は、3着までの着順を順番通りに的中させる券種。全買い目を合わせると120通りあり、競艇においては最も当てにくい買い方。その代わり当たった際の配当は最も高く、100倍を超える万舟券になることも。
2001年~ネット投票を開始
全国モーターボード競走連合会は、1985年に平和島で電話投票を開始した後、競艇ファンの利便性向上を目的として2001年にネット投票を開始。
ネット投票の開始によって、全国24競艇場のいずれの舟券もオンラインで購入できるようになりました。
これまで交通費や時間をかけて競艇場まで足を運んでいた競艇ファンにとって、遠隔で買えるようになったのは大きな変革。浸透するまでに時間は掛かりましたが、現代のボートレースに欠かせないツールとなっています。
2010年~宮島競艇場で減音モーターを導入
2010年以前のモーターは稼働性を重視していましたが、近隣住民から騒音のクレームが相次ぐ事態に。その問題の対策として、全24場すべて排気音をおさえる「減音モーターの採用」が決まりました。
騒音問題が解消された副作用で、レースの迫力は損なわれることに。まぁ、静かになる以上、パワーダウンは仕方ないですが…。
迫力ある排気音が好きだったファンにとって、減音モーターの導入は少し寂しさを覚えてしまう改正だったと思います。
2012年~持ちペラ制の廃止。新プロペラ制度導入
1988年に持ちペラ制が導入されてから約34年後。2012年、ペラの形状をハンマーで叩く調整しかできない新プロペラ制を導入。
持ちペラ制が廃止された理由は諸説あるものの、おそらく「実力重視」にしたかったのでしょう。
持ちペラの時は、レース結果がペラの性能に依存していたといっても過言ではありません。その偏りを少しでも減らすため、ターンやスタート力で勝てる制度改革を行ったのだと思います。
持ちペラ制の廃止には賛否ありますが、ライト層に関しては良い改変かと。なぜなら、ペラ性能を評価するのは難しい反面、実力だけなら初心者でも予想しやすいから。
廃止によって成績が向上した選手、大きく降下した伸び仕様のアウトレーサー。後者には同情しつつも、それに対応してこそプロではないでしょうか?
2014年~賞金王決定戦が2ステージ制に変更
2014年は、競艇の各レースの名称やグレードが変更された年。
- ヤング戦線→ヤングダービー競走
- 女子リーグ戦→ヴィーナスシリーズ
- 賞金王決定戦→2ステージ制
- 賞金女王決定戦→プレミアムG1
賞金王決定戦が2ステージ制になったことで、レース数が44から40レースに減少。敗退者もシリーズ戦に加わるため、レーサーにとってチャンスが広がりました。
2017年~やまと学校から「ボートレーサー養成所」へ
合格率40倍前後として知られる「ボートレーサー養成所」。
2017年までは「やまと学校」という名称で呼ばれていましたが、正式名称が”BOAT RACE”に変更したことを機に「ボートレーサー養成所」へ名称変更しています。
1年に2回、運動に自信のある若者たちが全国各地から試験に臨みます。そして、合格者は養成所の厳しい訓練に挑み、耐え抜いたものだけが競艇選手としてデビューできます。
ボートレーサー養成所とは
養成所について軽くお伝えしておくと…
- 入所倍率は20~40倍前後
- 中学校を卒業すれば受験できる
- 1次試験は中学レベルの学力と体力測定
- 2次試験は適正検査、体力測定
- 3次試験は面接、身体検査、適性検査
- 訓練期間は1年
- 全寮制で年に数回のみ外出可能
スマホ・音楽プレイヤーは持ち込み不可 - 入所した半数程度は辞める or クビ
ひとつだけ間違いなく言えるのは、めちゃくちゃ厳しい環境だということ。
「ボートレーサーは平均年収1,700万円」などと良い情報しか見かけませんが、そこに到達するのはごく僅か。入所するだけでも難しいうえ、卒業してデビューできるのは限られた人間のみです。
2020年~西川昌希の八百長事件が発覚
逮捕後に判明したことですが、選手宿舎に連絡専用のスマホを持ち込みしていたようです。
そして、レースの枠組みが決まった直後に親戚へ連絡し、舟券に絡まない計画を企てていたことが発覚しました。また、西川昌希は共謀者から現金300万円を受け取っていたことも明るみになっています。
<中略>
2019年1月22日から9月21日にかけて、なんと18レースも着順操作の八百長行為を行っていたのです。受け取った報酬は合計で3425万円。
1月28日に西川昌希は再逮捕され、共謀した親戚も逮捕されました。
競艇界を激震させた「西川昌希」元選手による八百長事件。
これまで積み重ねてきた信頼を失墜させる事件となり、テレビや大手ネットメディアでも大きく報道されました。さらに追い打ちをかけたのが、八百長を行った本人による自伝本の出版。
「意図的に負けて順位操作をしている人間は他にもいる」といったようなことが書かれています。
それが事実かどうかは不明ですが、業界への不信感が強まっているのは事実。1人の競艇ファンとして、同様の事件が起きないことを切に願います。
2021年~下関でミッドナイトレース初開催
競輪・オートレースでは既に実施されていた「ミッドナイト」。ボートレースも2021年10月から下関で開催が始まりました。
モーニング | 9時前後~15時前後 |
デイ | 11時前後~14時30分前後 |
ナイター | 14時30分前後~20時30分前後 |
ミッドナイト | 17時前後~22時前後 |
ナイターレースだけでも不満はなかったのですが、それよりも遅い時間帯となる「17時前後~22時前後」の開催。
ちょうどサラリーマンの終業時間と重なることもあって、初日の売上は8億円超え!6日間の総売上は、目標を遥かに超える57億円を達成しています。
競艇の歴史から振り返る今後の課題
約70年の歴史を振り返ると、決して順調とはいえない時もありました。
電話・ネット投票や3連単の導入など、ファンにとって魅力的な改革です。しかし、持ちペラ制の導入による成績への影響、騒音問題など競艇界に衝撃をあたえる数々の出来事。
それらの変化に対応し、大人気の公営競技へと発展したのは、元締めであるBOATRACE振興会をはじめ、死と隣り合わせで戦っている選手たちのおかげ。
そして何より、競艇を愛してやまないファンの力あってこそ!
(僕なりに)今後の課題を考察
競艇70年の歴史を踏まえ、改善の余地があると思われるのは…
- 競艇のファン層が高齢化しているためネット投票の簡略化が必要
- 競艇の魅力を若い世代に伝えていくためのSNS発信が必要
高齢の競艇ファンに合わせたサービス
競艇界の現状を分析した「競艇界のさらなる発展に向けた改善策」によると、問題点はファン層の高齢化や女性比率が低い点。競艇のイメージ調査では「おじさん(おやじ)」が最も高い数値を示したとしています。
ネット投票が普及した今、スマホやパソコンで舟券を購入できるのは、競艇を楽しむうえでメリットだと思います。
ですが、競艇場の売上に大きく貢献している往年のファンにとって、気軽に扱えるツールとは言えないかも。
テレボートの会員登録を済ませ、振替契約をした指定口座から入金、レースの展開を見ながら券種を選択…。スマホすら真面に使えない高齢者に、ちょっとハードルが高いような気も。
考えているとは思いますが、古いファンに合わせた投票システムを構築できれば、さらに盛り上がること間違いなし。
ボレジョを増やす情報戦略
競艇界を盛り上げるため、女性や若年層をターゲットにした取り組みも大切かと。
例えば、競艇選手やメディアがSNSで発信をしたり、現金以外で舟券を購入する方法を検討したり。一昔とは情報発信の仕方、決済方法も進化しているので、臨機応変な対応力が必要だと思います。
仕事の一環として、ボートレーサーに宣伝活動をしてもらうのも良いでしょう。また、銀行振替だけでなく、paypayなどの電子決済や仮想通貨を導入するのも面白そう。
競艇を知らない若い世代が少しでも興味をもってくれる「新しい試み」こそ、獲得できていない層の発掘に繋がるかもしれません。
競艇の歴史に関するQ&A
Yahoo知恵袋などでよく見かける「競艇の歴史に関する質問」に回答します。
競艇の正しい呼称は?
競艇の正式名称は2010年から「BOAT RACE」に変更されています。
ただ、昔ながらのファンだと「競艇・舟(ふね)」と呼びますし、新しいファンは「ボート」と呼んだりもします。どれも不正解ではないので、関係者でなければどの呼称でも問題ありません。
最も早く開催された公営競技は?
公営競技で最も早く開催されたのは「競馬」です。その後、オートレース・競輪・競艇と続いた為、競艇が最も新しい競技となります。
- 競馬:1860年
- オートレース:1914年
- 競輪:1943年
- 競艇:1952年
ネット投票の開始で競艇の売上はアップした?
開始当初、競艇の売上自体に大きな変化はなかったようです。
2001年のネット投票開始。全国24競艇場のレース予想・投票ができるようになり、利便性は飛躍的に向上しました。しかし、ネット投票開始後、すぐに収益増加へは繋がっていません。
年度 | 開催日数 | 総売上 |
2000年 | 4,269日 | 1兆3,347億円 |
2001年 | 4,237日 | 1兆2,811億円 |
2002年 | 4,290日 | 1兆1,990億円 |
2003年 | 4,302日 | 1兆751億円 |
2004年 | 4,260日 | 9,837億円 |
理由は不明ですが、ひょっとしたら当時の経済状況などが影響したのかも。また、スマホのない時代なので、そこまで活用されなかった可能性が考えられます。
競艇の売上金の用途は?
競艇の売上金は「地方公共団体金融機構」「公益財団法人 日本財団」など、社会福祉や被災地の復興支援などに用いられています。
まとめ
競艇の歴史を紹介しましたが、これでも省略した出来事は沢山あります。もっと具体的に知りたい方は「競艇の歴史(ウィキペディア)」をご覧ください。
いずれにせよ、現代のボートレースを楽しめているのは、先人たちが試行錯誤してくれたおかげ。ファンたちを魅了しつづけた選手はもちろん、裏方で支えている協会や競艇場関係者の賜のでしょう。
面白くない内容だったかもしれませんが、別記事では予想方法や買い方など、初心者が知りたい情報を発信しています。
もし時間があれば、合わせて参考にしてください!
お気軽にコメントをどうぞ!