漫画「モンキーターン」主人公・波多野憲二のモデルでもある「濱野谷憲吾」選手。
数々のタイトルを獲得し「ムテキング・ヘマキング・東都のエース・水上のファンタジスタ」と異名が付くほどの実力者です。
そして、なんといっても濱野谷選手はめちゃめちゃイケメン!
しかし、優勝戦まで進出しても勝ちきれない時期や、低迷した時期もありました。
今回は、そんな「濱野谷憲吾」選手のストーリーや競艇の実績、プライベートや家族のことまでまるっと紹介していきます。
「リバースボート」の無料予想はとにかく当たります。
実際に試せば分かりますが、レースの選び方・買い目の絞り方はまさに本物。これほど高精度の無料予想は滅多にありません。
もちろん、信用できるまではエアー検証でOK。数レースで質の高さに気づくはずです。
濱野谷憲吾のイケメンすぎる画像
濱野谷憲吾のイケメンすぎる画像ををいくつか用意してみました。
若い時もロン毛でやっぱりイケメン。歳をとった今でもイケメンは変わらずダンディでカッコイイおじさんになるんです。
濱野谷憲吾とは?
東京都世田谷区出身のボートレーサー。世田谷区立新星中学校を卒業後、本栖研修所(ボートレーサー養成所)へ入所。厳しい訓練を乗り越え70期としてデビュー果たします。
ペラグループは乙津康志が主宰するO2ブランドに所属しており、後輩には「中野次郎」選手や「角谷健吾」選手も所属しています。
そんな濱野谷選手の趣味は、自宅でDJをしたり、釣り、料理、ゴルフ、サバイバルゲーム、スキューバダイビングとかなり多趣味な方です。
好きな食べ物はラーメンやイタリアン。そして、ビールが大好きな濱野谷選手ですが、太りやすい体質なため食べ過ぎてしまうと減量が大変だと語っています。
さらに、独特な世界観を持った濱野谷選手は急にドラムを習い始め、理由を聞くと「やっぱなんかかっこいいじゃん!YOSHIKIかっこいいじゃん」と回答しています。
まさに濱野谷ワールド全開。
基本情報・プロフィール
公式画像 | |
名前 | 濱野谷憲吾 |
ふりがな | はまのやけんご |
登録暗号 | 3590 |
生年月日 | 1973年11月8日 |
身長 | 169cm |
体重 | 56kg |
血液型 | A型 |
支部 | 東京 |
出身地 | 東京都 |
登録期 | 70期 |
デビュー | 1992年5月19日 |
趣味 | DJ |
ボートレーサーを目指したきっかけ
濱野谷選手がボートレーサーを目指した理由は両親から「競艇選手になれば良い車に乗れるようになる」と言われたことがきっかけだったそうです。
また、濱野谷選手が本栖研修所に通う前から、兄が競馬学校に通っていたことも影響しています。
愛車はベントレーコンチネンタルGT
ボートレーサーを目指したきっかけにもあるように、「競艇選手になれば良い車に乗れるようになる」を実現した濱野谷選手の愛車は「ベントレーコンチネンタルGT」。
ベントレーコンチネンタルGTの相場は約2,500万円。
濱野谷憲吾の特徴
濱野谷憲吾(期別成績) | |||
勝率 | 6.83 | 2連対率 | 45.80% |
3連対率 | 56.88% | 出走数 | 109回 |
優出 | 2回 | 優勝数 | 0回 |
平均ST | 0.16 | F | 2回 |
出遅れ | 0回 | 能力 | 71 |
1着 | 21.1% | 2着 | 24.8% |
3着 | 11.0% | 4着 | 18.3% |
5着 | 11.0% | 6着 | 11.0% |
濱野谷選手は、キレのあるスピードターンを得意とした選手です。
さらに、操艇技術だけでなく整備能力も高く評価され、山崎智也選手と共に関東のエースと呼ばれています。
- 1~3コースの連対率が高い
- 1コース以外では2・4コースは1・2着率が高い
- 差しが決まりやすい2・4コースでもまくりで勝つことの方が多い
- 外側のコースになるにつれスタートタイミングが遅くなる
直近5年の獲得賞金
濱野谷選手は、賞金王争いの常連であり、9年連続(1998年~2006年)で年間獲得賞金1億円超えという偉業を達成しています。
以下は、濱野谷選手の直近5年の獲得賞金です。
9年連続で1億円超えと聞いてしまうとショボく見えてしまうかもしれませんが、1番少ない2018年でも3,000万円オーバー。
年 | 順位 | 獲得賞金 |
2018年 | 88位 | 33,542,666円 |
2018年 | 16位 | 65,234,932円 |
2019年 | 28位 | 58,416,000円 |
2020年 | 78位 | 41,509,732円 |
2021年 | 6位 | 125,249,928円 |
生涯獲得賞金
濱野谷選手の生涯獲得賞金は「23億7620万円」を現在も更新し続けています。
そして、競艇界の生涯獲得賞金は「松井繁・今村豊・山崎智也・今垣光太郎・瓜生正義」に次ぐ第6位に食い込んでいます。
以下は、生涯獲得賞金の内訳です。
順位 | 名前 | 生涯獲得賞金 |
1位 | 松井繁 | 39億2486万円 |
2位 | 今村豊 | 29億4144万円 |
3位 | 山崎智也 | 25億9690万円 |
4位 | 今垣光太郎 | 25億3381万円 |
5位 | 瓜生正義 | 24億8761万円 |
6位 | 濱野谷憲吾 | 23億7620万円 |
兄は日本中央競馬会所属の「浜野谷憲尚」
出典:netkeiba.com
名前 | 浜野谷憲尚 |
ふりがな | はまのやのりひさ |
生年月日 | 1972年1月25日 |
身長 | 167cm |
体重 | 53kg |
血液型 | B型 |
出身地 | 東京都 |
所属厩舎 | 美浦・フリー |
重賞勝利 | 1勝 |
通算勝利 | 2985戦169勝 |
免許区分 | 平地・障害 |
濱野谷選手には、同じ公営競技で元競馬騎手の兄がいます。それが「濱野谷憲尚」元騎手。
濱野谷選手同様に世田谷区立新星中学校を卒業後、競馬学校に入学。1990年に美浦・松永勇厩舎所属騎手としてデビューしています。
1年目は平地競走のみの騎乗であったが、2年目以降は障害競走にも騎乗し障害で初勝利を挙げたのは障害に乗り始めて3年目の1993年の頃でした。
2003年8月23日に開催されたG3「新潟ジャンプステークス」で重賞初勝利を飾っています。
2020年1月31日をもって引退を発表し、引退した現在は戸田博文厩舎に所属調教助手をしています。
濱野谷憲吾の同期レーサー(70期)
実はボートレーサーになっていたら、濱野谷選手と同期だったのが、芸人「ますだおかだ」の増田英彦さん。
ボートレース好き芸人としては有名な話ですが、まさか合格率3%とも言われる養成所の試験を合格していたとは。
しかし、実際のレースを観た増田さんは「俺はこれをするのか。これを一生の自分の仕事にするのか」と迷い、大学中退か休学をしなければいけないことで辞退を選択し芸人の道へ。
当時のことを語った動画があるので興味がある方はご覧ください。
前本泰和
公式画像 | |
名前 | 前本泰和 |
ふりがな | まえもとやすかず |
登録暗号 | 3573 |
生年月日 | 1972年4月9日 |
身長 | 164cm |
体重 | 50kg |
血液型 | O型 |
支部 | 広島 |
出身地 | 広島県 |
登録期 | 70期 |
デビュー | 1992年5月 |
趣味 | なし |
広島県出身、広島支部に所属するボートレーサー「前本泰和」選手。
前本選手は、コース取りを積極的に行う選手であり、どのコースからでも1着を狙いに行くようなレーススタイルが特徴です。
前本選手は2018年8月27日「SGボートレースメモリアル」最終日第3レースで6枠から前付けを敢行し4コースから1着を獲り通算2,000勝を達成。
さらに、2021年6月の「SGグランドチャンピオン」では2度目のSG制覇を果たし、すべてのグレードレースを含む通算131回の優勝を記録しています。
吉川昭男
公式画像 | |
名前 | 吉川昭男 |
ふりがな | よしかわあきお |
登録暗号 | 3582 |
生年月日 | 1973年1月29日 |
身長 | 167cm |
体重 | 53kg |
血液型 | A型 |
支部 | 滋賀 |
出身地 | 滋賀県 |
登録期 | 70期 |
デビュー | 1992年5月 |
趣味 | サウナ |
滋賀県出身、滋賀支部に所属するボートレーサー。びわこ番長こと「吉川昭男」選手。弟は同じボートレーサーで92期デビューの吉川喜継選手。2021年には、次男の「吉川晴人」選手も129期としてプロデビューしています。
吉川照男選手は2017年に年間124勝を挙げて最多勝利選手のタイトルを獲得。
2019年には「G2びわこ秩父宮妃記念杯」で念願のG2初優勝を果たしました。同年2月には「マンスリーBOATRACE杯 男女W優勝戦」2日目の4レースでイン逃げを決め通算2,000勝を達成しています。
デビューから現在までの成績やタイトル
デビューしてからの濱野谷選手は順調でした。しかし、優勝戦で勝ちきれない時期や、低迷した時期もありました。
デビューからわずか2走目で初勝利
濱野谷選手はデビューしてすぐに頭角を現していきます。
1992年5月19日に平和島競艇場でデビュー。通算わずか2走目でなんと初勝利を挙げる快挙を達成します。
19歳という若さで初優勝
初勝利や初優勝に何年もかかってしまう選手もいますし、初優勝する前に引退してしまう選手もいます。
そんな中、濱野谷選手が初優勝を飾ったのはデビューから約1年4カ月経った1993年9月23日。戸田競艇場で開催された一般戦でした。
当時の濱野谷選手はわずか19歳10カ月。初勝利も初優勝も早く今後が期待されるレーサーが誕生しました。
2度目の優勝は25連敗の約3年越し
初優勝から順調に成績を上げていった濱野谷選手ですが、優勝戦には乗れるものの、中々勝ち切ることができない時期が続きます。
2度目の優勝は優勝戦25連敗で迎えた1996年5月6日。かかった年月は約2年8カ月。デビュー当時の濱野谷選手からは想像もできない苦労でした。
吹っ切れたのか、この優勝がスランプから抜け出すきっかけとなり、これ以降の1996年は3節連続優勝を含む7回の優勝を達成。
この活躍もあり同年1996年10月、福岡競艇場で第43回全日本選手権競走に出場することが決定。遂に競艇界の最高峰のレースSG初出場を果たしました。
SG初出場で3回も1着を取るという活躍や1日2回も転覆して失格をするという記録を残し「濱野谷」の名前を全国に知らしめました。
5つのSGを制覇
吹っ切れた濱野谷選手の勢いは止まることなく、成績が凄すぎることで出場している大会はほぼG1やSGばかり。
その大会でも優勝を飾っていた濱野谷選手はG1で22回の優勝を達成し、最高峰のSG競走では5回の優勝。
その他のグレードを含む、通算優勝回数はなんと95回という快挙。常にトップクラスで活躍する選手となったのです。
濱野谷選手が獲得したSGタイトルは以下のとおり。
- 1998年10月11日:SGボートレースダービー優勝
- 2000年11月26日:SGチャレンジカップ優勝
- 2001年12月24日:SGグランプリシリーズ戦優勝
- 2007年3月21日:SGボートレースクラシック優勝
- 2021年7月25日:SGオーシャンカップ優勝
「SGグランプリシリーズ」レース動画
こちらのレースはまさに実写版モンキーターンと言っても過言ではないでしょう。
どうしてもこのレースは紹介したかったので一瞬も目を離さずご覧ください!
2021年3月の唐津で24場制覇を達成
出典:サンスポZBATボート
濱野谷選手は、デビューから28年10カ月で、史上32人目となる全24場制覇を達成しています。
24場制覇した濱野谷選手は以下のようにコメントしています。
「意外と時間はかかったね」としながらも、「達成できてよかった」と笑みを浮かべ、「今年は年男だし、当たり年にならないかな」と話していた。
出典:サンスポZBATボート
14年4ヵ月ぶりのSG優勝「SGオーシャンカップ」
2012年頃から、黄金期と比べるとG1級のレースで優勝する回数が少なくなっていた濱野谷選手ですが、ついに「濱野谷憲吾」が復活。
2021年7月25日、ボートレース芦屋で開催されたSGオーシャンカップで14年4カ月ぶりにSG優勝を果たしました。
濱野谷選手は予選を「1121221」で全連対し優勝戦の1枠を獲得。とはいえSGの優勝戦ですからメンバーは控えめに言ってもバケモノ級の選手たちばかり。
- 1号艇:濱野谷憲吾
- 2号艇:馬場貴也
- 3号艇:瓜生正義
- 4号艇:篠崎元志
- 5号艇:峰竜太
- 6号艇:平本真之
本人は愛犬の「マイロに噛まれて優勝できた」とジョーク言っていますが、噛まれたのは顔で6針縫うほどの大怪我だったそうです。
SG優勝した日はなんと波多野憲二の誕生日
14年4カ月ぶりに優勝したオーシャンカップの日付は、なんとモンキーターンの主人公・波多野憲二の誕生日だったんです!
これを聞いた浜野谷は「光栄に思います」とにっこり。モデルになっているはずの当の本人はそれを知らなかったようですw
さらに、表彰式に訪れた芦屋の「波多野茂丸」町長もモンキーターンに繋がるといったスーパーミラクルが起きていました。
「モンキーターン」波多野憲二は濱野谷憲吾がモデル
濱野谷選手がモンキーターンの主人公・波多野憲二のモデルになっているのは有名なお話です。
実は、モデルになっている選手は波多野選手だけではありません。
以下の記事を見ればまた違ったモンキーターンが楽しめるはず。
モンキーターンとは?
「モンキーターン」とは、週刊少年サンデーにて1996年から2005年まで連載された「河合克敏」さんによるボートレース漫画。
前作「帯をギュッとね!」の連載が終了した翌1996年に、当時の編集長から「競艇漫画を描かないか」と言われたことがきっかけだったそうです。
2004年にはテレビ東京系でアニメ化されています。
また、日本船舶振興会からも競艇初心者の入門書として推薦されており競艇の勉強にもなるのでかなりオススメです。
モデルになった実在する選手は多数
上記でも軽く触れていますが、濱野谷選手は漫画「モンキーターン」主人公・波多野憲二のモデルになっています。
作者である河合克敏さんが取材で平和島競艇場に訪れた際に、濱野谷選手のレースを観戦したことがモデルになったと言われています。
実際に濱野谷憲吾と波多野憲二には共通点があります。
- 出身が東京都世田谷区
- 高校時代は野球部
- 東京支部に所属
- デビューの地が平和島競艇場
- SG初出場、初優出、初優勝が全日本選手権(ダービー)
- SG初優出の結果(6着)が同じ
波多野憲二のモデルになっているのは濱野谷選手ですが、波多野のエピソードには他の選手のエピソードも含まれています。
- 手の負傷・リハビリ:平田忠則
- 復帰戦:は植木通彦
- 研修所時代に転覆を繰り返した:今村豊
「波多野憲二」以外の登場人物のモデルになった選手は以下のとおり。
実際に選手のエピソードが作中でモデルになっていて、ネタバレにもなるので解説はほどほどにしておきます。
登場人物 | モデル |
波多野憲二 | 濱野谷憲吾 |
長尾茂和 | 長岡茂一 |
榎木祐介 | 植木通彦・今村豊 |
潮崎俊也 | 山崎智也 |
櫛田千秋 | 寺田千恵 |
高橋香子 | 高橋香代 |
青島優子 | 日高逸子・中里優子 |
洞口雄大 | 仲口博崇 |
蒲生秀隆 | 山室展弘 |
浜岡猛 | 矢後剛 |
犬飼軍志 | 大嶋一也 |
濱野谷憲吾の嫁とは?
濱野谷選手は一般女性の方と結婚しています。結婚した時期などを調査してみましたが結婚の細かい詳細は分かりませんでした。
お子さんは息子・娘の2人の子供に恵まれ、4人家族のとのこと。年に2回ほど家族旅行に行ったりもしているようなので家族仲は良いようですね。
濱野谷憲吾のSNS(インスタグラム)
SNSはインスタグラムのみ運営しています。
主な投稿はプライベートなことが多く、ボートレースの事はほぼ更新していませんw
ただ、プライベートな投稿でも有名なボートレーサーが結構な頻度で登場するので見てて面白いSNSになっています。
まとめ
今回紹介した「濱野谷憲吾」選手をまとめるとこんな感じです。
- 漫画「モンキーターン」主人公・波多野憲二のモデル
- 競艇選手を目指したのは、良い車に乗れるようになると言われたことがきっかけ
- 愛車はベントレーコンチネンタルGT
- 生涯獲得賞金は艇界6位の23億7620万円
- 兄は元競馬騎手の浜野谷憲尚
- デビュー後2度目の優勝までは25連敗のスランプがあった
- 5つのSGを制覇
- 14年4カ月ぶりのSGオーシャンカップ優勝
- 一般女性と結婚し息子・娘との4人家族
- SNSはインスタグラムを運営している
14年4カ月ぶりにSG優勝を果たした濱野谷選手。
またこの優勝をきっかけに無双してほして生涯獲得賞金を更新していってほしいと思います!